イギリスラグビー界で、最も支持され、最も成功しているクラブであるレスター・タイガースは、イギリス国内だけではなく海外での試合でも羨望の的になっています。
 
クラブ成長期でのミッドランズ・カップ制覇からトーナメント征服まで、プロフェッショナルゲームの頂点、10のイギリスリーグタイトルと2年連続ヨーロッパ・チャンピオンシップ獲得など、レスターは他が追随するベンチマークを築いてきました。
レスター・タイガースとして一般的に知られているレスター・フットボールクラブは、1880年に創設され、今日では、世界で最も成功し名の知られたラグビークラブの一つとなりました。
クラブは、1880年8月にレスターにあるジョージホテルで行われた会合において、レスター・ソサエティAFC (Leicester Societies AFC) とレスター・アマチュアFC (Leicester Amateur FC)、レスター・アラート (Leicester Alert) の3つのクラブを合併して創設されました。
レスター・フットボールクラブは、その年の10月、当初のクラブカラ―である黒のユニフォームを身に着け、ベルグラーヴ・クリケット・アンド・サイクル・グラウンド(Belgrave Cricket and Cycle Ground) でモズレー(Moseley)と初戦を戦いました。

 

タイガー・ストライプス
1885年初頭、レスター・デイリーポストが“タイガー・ストライプスはよくまとまっていた”と報じ、そこでチームは初めてタイガースの呼び名で呼ばれるようになりました。なぜその呼び名が使われたのか、そのときチームが着ていた茶色と黄色のユニフォームなのか、あるいはインドに赴任していた地元連隊のニックネームだったタイガースにちなんだものだったのかは、いまだはっきりしていません。
現在のウェルフォード・ロードの当初の借地契約書類によると、クラブは躍進をし続け、1897年ミッドランズを本拠地としたラグビークラブのプレミア・トーナメントであるミッドランズ・カウンティーズ・カップで優勝します。その後レスターは20世紀に入ってもそのトーナメントを支配し続け、全部で8回の優勝を成し遂げますが、1905年、“他のチームにチャンスを与えるため”、トーナメントの出場を辞退することとなります。
1920年、クランビー・スタンド(Crumbie Stand)が作られ、そのたった1年後、メンバーのためのスタンドの拡大と合わせてテラス席が増設され、グラウンドの収容人数が10,250名となりました。その後、1995年、75年ぶりにウェルフォード・ロードにアライアンス&レスター・スタンドが(Alliance & Leicester Stand) が増設されました。

 

今の時代への成長
タイガースが本当に成長を始めたのが、1970年代終わりにかけてでした。当初クラブのメンバーはたった600から700人しかおらず、試合の入場者は1,000人にも満たないというものでした。しかし、70年代の終わり、タイガースが初めてトーナメント決勝進出を果たしたことをきっかけに、大きな成長の一途をたどります。
サポーターと選手は同様に、この変化を、1968年にレスターにやってきたチャーキー・ホワイト(Chalkie White)の存在によるものとしました。彼は極めて前向きな思考を持ったコーチであり、適正や戦術の認識において高い基準を持っていました。彼のユニークなコーチングのスタイルは、チームにピッチ上での成功をもたらし、その成功に伴い、サポーターの数も増加をしていきました。
70年代は有名なバーバリアンズ(Barbarians)にとって栄光の時代でした。タイガースは、750から2000人の観戦者数とうってかわり、バーバリアンズを相手にウェルフォード・ロードで超満員の観戦者の前でプレーすることとなるのです。
1980年代、アマチュアクラブとして、クラブはアウェイの試合やイースターツアーを楽しんでいましたが、ピッチ外では、スポンサーとの協定に向けて第1歩を踏み出していました。